人生は刺激的か? 〜spice of life〜

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「生」と「死」|シビアな内容から生きていることの尊さを考えてほしいと思った話

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ひとの生と死について考えることは意外と機会が少なくて、

まして、この件を子供に伝える、教えるということは、

個人的な見解だけれども、たいへん難しい。

そう思うのです。

 

我が家では、先日娘が生まれてきました。新しい命に触れることができるタイミングです。息子からすると妹が、我々親からすると2人目の子が生まれてきましたから、初めてと、久しぶり、ということになるわけです。

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新しい命にに対して、何ができるか?というか、この命を守り、育てていくために、親は親なりに、子は子なりに、真剣に考え、自分にできることをしていくわけです。

 

どちらかといえばこの話は前向きで、いくらでも話すことができて、幸せな気分になれる。そんな感じになるのだと思います。自然とそうなりますね。

 

相反する事象として、「死」があります。

生きるものには必ず「死」が訪れます。

 

こうして、ブログを更新することも、仕事をしていることも、学校行くことも、遊ぶことも…、生きているからできることであり、しかも、これが普段の「当たり前」なもので、死に対して思いを巡らせることはない。

 

 

 

「死」については、基本的に普段の生活で触れようとはしません。

 

 

 

娘が生まれて、数日経った先日、

実は急に妻のおじいさんが亡くなりました。

 

娘が生後10日ほどしか経っていないため、なかなか外に出ることができないという状況ではありましたが、「とりあえず、顔は見にいってあげよう」と提案し、妻、息子、娘を連れおじいさんの自宅へ。

 

葬儀をする場所へ直接送ることはなく、自宅へ帰ることを希望していましたから、希望通り帰ることができました。

 

おじいさんの元へ着くと、当然のように妻は泣いていました。

 

おじいさんの息子さん(妻の叔父さん)は、

「爺さんは、賑やかなことが好きだったから、どうか泣かずに、顔を見てやってくれ」と。

 

落ち着いてきた妻は、おじいさんの顔を見ることができ、「いつもの笑った顔」といっていました。わたしから見ても確かに、生前の穏やかな顔をしていたように思います。わたしも世話になりましたし、息子も可愛がってもらいましたが、この時点では、やはり息子はひとの「死」について、もうひとつピンときていない感じでした。そこに肉体がある限りは、「ほんとなの?」という感情が湧くのは仕方ないことだないう印象です。

 

その日は、おじいさんの顔を見させてもらい、帰宅しました。

 

 

 

そして葬儀の日。

 

 

 

わたしたちは娘も連れていく必要があったため、最後のお別れぎりぎりで参列する旨を伝え、出発。予定通りの時間に到着し、最後のお別れを待ちました。お寺さんが退席し、親族のお別れが始まる時には、娘をわたしが抱き、妻にはお別れをしっかりしてもらうため、息子とともに柩のそばへ行かせました。その際、息子も花を手向けながら泣いていました。わたしも花を手向け、遺影を眺めていると、いろいろ教えていただいたことや、わたしをすぐに受け入れてくれたことなどを思い出し、辛いものがありました。

 

柩に入っていることや、花を手向け、最期の言葉をかけてあげる状況が、改めて命が尽きたことを認識させるのだと、今になればそう思います。息子もそれを感じたんではないでしょうか?

 

 

葬儀は滞りなく終わりましたが、急なことでバタバタしましたので、全員がちょっと疲れ気味。その晩は、わたしと息子で入浴。そこでちょっとした話をしました。

 

「お父さんが死んだら、後は頼んだで!!お葬式してよ!」

息子に冗談で言ってみます。

「まだだいじょうぶやろ!?」

息子は返します。

 

まあ確かにいきなり明日ってことは、可能性としては薄い(はず)。そんな話をしたら、息子はちょっと泣いちゃいました。そんなことを考えるのが寂しい気分になったそうです。想像をしたみたいですね。

 

そこでわたしなりのひとの「死」に対する考え方を、おじいさんの死をきっかけに、息子は小学校1年生ですが伝えてみることにしました。

 

  • おじいさんの身体はなくなったこと。
  • おじいさんのことを覚えている人がいる限り、おじいさんの存在は消えないということ。
  • おじいさんのことを覚えている人がいなくなった時、初めておじいさんの存在が完全になくなること。
  • ひとの記憶からそのひとが消えた時、本当の意味でのひとの「死」であること。
  • だから、これからおじいさんのことを思ってあげることが大切だということ。

 

なんか小難しい感じになってしまったのですが、息子なりにわかってくれた雰囲気でした。一生懸命思い、手をあわせるみたいなことを言ってました。

 

それともうひとつ伝えたのですが、

 

普段、生きていられることが「普通」なのだけど、人はいつどうなるかわからない。(ちょっと重いけど…)だから1日1日を大切に、自分がやってみたいことを、楽しく、一生懸命やっていくことが大切だと。なんでもトライしてくれたらいいと。命があって、あなたが存在していることが本当は「特別」なことなんだということを伝えました。

 

 

 

「死」についてちょっと考えることが、今の「生」についてつながれば、それはいいことだと思うし、命の大切さや、日々の生活のありがたみ感じることへの繋がりになればいい。

 

今回はひとの死に触れるタイミングでしたが、自然とこのような内容を伝えられるということは大切なのではないかなとわたしは思います。もちろん伝え方や言葉のチョイスはひとそれぞれだと思いますが(今回わたしは難しく言い過ぎたかもしれません……)

 

「いい機会だから」ではなく「自然と」。

 

この度は葬儀がきっかけになってしまいましたが、葬儀のタイミングに限らず、普段から「生きていること」の大切さを伝えてあげることができれば、自然と自分自身を大切にし、いろいろなことへの感謝の気持ちなども増えてくれそうな、そんな気がいたします。

 

 

 

 

生きることは何かを考え、自分の人生を大切にしてくれる子供たちが増えて欲しいな、そう思う次第です。

 

 

 

 

 

最後までありがとうございました。

 

 

 

END